三英傑の宿命と運命を分かったもの

 

出会いというのはとても不思議なもので

 

いい本( いい情報 )との出会い

 

いい人との出会いが運命を変えることだってあります。

 

先のページで三英傑の出来事と出来事の間( ま )・・エネルギーを高めて
運気を自然に上げる「 人 」と大きな運の流れと転機について考察をし

 

「 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康 」の三人を比べて

 

三人とも類まれな度量を持ち、所謂人間力の高い腹のすわった女性にも恵まれていて

 

この三人は、お手本みたいな形で
運気の流れも3年周期×4=12年周期で変転、転機があって
推移してることが、それとなく浮かび上がってくるということを書きました。

 

 

ところで・・先天的にハンディを負ってても

 

後天的に少しでも周りの運気を高め自らも運氣を良くしたいと考えるのは誰しもの事ですよね。

 

 

もちろん、どうにも変えられないものだってありますよね。

 

例えば

 

生まれた場所や時代は、変えられない。

 

宿命的なものがある。

 

いくら江戸時代の大名の息子として私は生まれたかったとしても、どうなるものでもない。
( 私は、いくら大名の子でも、あんな凄惨な戦乱の世には絶対生まれたくはない・・この時代でよかったと思ってるけども・・ )

 

しかし、その一方で、変えられるものもあります。

 

準備を怠らず、戦略を持って怠ることなく熱意を込めて励めば

 

環境要素や多少の運はあるものの

 

熱意次第で何とか拓かれるものも多いです。

 

 

さらに、結果を出し続ける方というのは

 

卒業してからも1日20分とか30分とかいった形の自己を律する何らかのルーチンを持っていて
新しいことを学び続け研鑽し続けてる傾向があり、そういうトレーニングを淡々と継続してる方が多いです。

 

 

 

ところで

 

 

私たちが知りたいのは先天的なものではなく

 

それを受け入れた上で

 

 

後天的な取り組みで何とかなる小さな運気の流れの掴み方や

 

運の高め方なるものを知って

 

取り組みたいというのが人情ですよね。

 

 

 

 

「 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康 」の三人を比べてみると

 

三人とも類まれな度量を持ち

 

三人とも、波動的相性が抜群で

 

自立していて夫( 配偶者 )を強く信じる信念が尋常ならざるって言いますか

 

めちゃくちゃ腹のすわった女子( おなご )にも恵まれて

 

そういう方と交流することで、家康公のように、どん底もどん底の窮地を脱したり

 

秀吉公や信長公のように運気のレベルが奇妙なことに一気に爆上げしてるふしがあるということを書きました。

 

 

 

 

 天下布武を標榜し1573年の義昭追放で室町幕府は滅亡し
自由な市場の雰囲気をもたらし安土桃山時代が始まったとされてることから

 

信長公の果たした役割は大きいですし

 

秀吉公が太閤検地を断行した事によりズルができにくくなって
中間搾取層の力がそがれ荘園制を崩壊させ大名の力を強めた功労というのは
否定しようもない。
さらに刀狩によって百姓一揆などの内乱や反乱が起こる可能性を減らしたという功も大きい。

 

 

 

ですが・・結局、国内の益もない小競り合いの時代を終わらせ
最後に大きな餅を食べたのは、「 家康公 」だった・・

 

腹黒だとか狸親父とか・・ああだこうだと言われてるけど‥(;^_^A

 

結局最後は、三人のうちで最も忍耐力に優れ、最も腹の出来た家康公が
最後に大きな歴史の流れを作った・・と言えるのではないでしょうか?

 

 

 

ここで考えてもらいたいのは

 

 

3英傑はいずれも、各人各様波動的相性抜群で
人間力の高い腹のすわった女性を娶ってまして

 

そういう方と長所を交換し合うことで

 

転機において大運の流れを掴んでいったことを含めて

 

人間力の高い、いい人との出会いと交流が
異次元に運命を拓くことだってあることを事例を挙げながら執筆してきましたけども

 

 

よくよく三英傑を比べてみると条件は、ほぼ一緒です。

 

信長公については、やはり運気がいかに強く濃姫のごとき女性に支えられてても<ルイス・フロイスの著述を読んで調査した範囲では>激昂しやすい性格だったのは確かなようで、それが災いし部下から恨みを買ったというのがあるし秀吉公については、この御方の積年の好色傾向から考えて、どうにも避けられなかったのかもしれませんが晩年に茶々( 淀殿 )に入れ込んで運気を思いっきり落としてることを匂わせてはいますけど

 

条件は、ほぼ一緒ですよね。

 

別の見方をしたら、一番下積みの陰徳の貯金を溜めていて克己心も抜群だったのが家康公だった・・という見方も出来ますけども・・

 

 

条件は一緒です。

 

 

 

 

ですが

 

 

 

結局天下を平定したのは、志操堅固で気配りと共感能力が強く忍耐力、克己心がずば抜けていた・・

 

息が強く長く腹が出来て・とにかく堪忍力がすごい・・

 

三英傑の中で人間力が最も高かった「 家康公 」だったと私は結論づけたいわけです。

 

 

 

 

では、なぜ?Why?家康公は、あれほど逆境に強く腹のできた人物になったのでしょうか?

 

 

 

なぜ、あれほど堪忍する力が強く察する力も強いのでしょう。

 

 

 

あなたは不思議に思ったことはないですか??

 

 

ここで考察のヒントとして

 

 

三英傑と呼吸力というのを考察してみると

 

三英傑とされる方のいろんなエピソードを俯瞰すると

 

 

「 呼吸力 」という点で見るならば三人とも呼吸の強さは同じでも

 

 

最も鼻息が荒く強く激しい呼吸だったのは信長公だろう・・

 

最も場を親和させる力が強く、そういう場の雰囲気を
作る息を操っていたのは秀吉公で

 

 

そして恐らくは、家康公が最も呼吸が長く深かったろうと推定できます。

 

 

 

なぜなら堪忍する力が強い方ってのは腹も出来てて脳幹も強く

 

呼吸が強いだけでなく深く長い方が多い傾向にあるからです。

 

 

そういうことを書くと、ここでまた

 

じゃあ、どうやったら家康公みたいな堪忍力を、少しずつでも
つけることができる?という素朴な疑問が浮かぶと思います。

 

 

 

 

 

実は・・中学の教科書や高校の日本史の教科書では教えられてないことがあるんです。

 

ごくごく一部の歴史のトリビアに詳しい先生でしたらご存知かもしれませんが
授業では語りたくても語れない。(;^_^A

 

私は別に文部省の教育規定や授業規程に沿って話さないといけない
公立高校の日本史の先生でもないんでアンタッチャブルを書きますが・・(;^_^A

 

 

 

実は家康公には裏の顔ってのがありまして

 

公は念仏将軍というあだ名までついてるくらい熱心な念仏行者だった・・

 

そこら辺の並のお坊さまより、遥かにお坊さまだったという伝説がある。

 

 

念仏信仰が深く多い時には1日6万遍阿弥陀仏を念い
呼吸(いき)と自らを一体にさせつつ鎮め深めていく、ただ念仏を唱える。

 

ただ念じる・・ただとなえるってことをやってたそう。

 

戦続きの日々の中で陣陣に赴くときは

 

「厭離穢土欣求浄土」の旗指物を持参したとされている。

 

 

さらに

 

夜になったら戦で亡くなられた方々の御供養というのもあって
「 南無阿弥陀仏 」の名号を筆写し、静かに内省するのを日課にしていた
という史実も残っていまして

 

事実として、家康公が筆写した巻物がいくつも現存しています。

 

大阪の陣が終わった後、家康公は前にもまして念仏の書き写しに励むようになったと言います。

 

その数は多い時には1日に1000回。

 

 

こういった日々の自己訓練と申しますか日課も

 

恐らく腹を練って息を強く長くし

 

日々内省といった瞑想的な考え方を培い

 

克己心や堪忍力を養うことに貢献したのではないでしょうか?

 

 

そういう日々の日課による後天的鍛錬で日々腹を練り、呼吸も深くなった。

 

12年の人質生活という環境要素もありますが

 

あんな時代に生まれなくてよかったとしみじみ思うわけだけど・・

 

戦に明け暮れ日常生活が常に死と向き合う日々の中で

 

 

念仏に報いがあるんだろうか・・とか、念仏に救いがあるのだろうか?とかいったことからも離れ
はからいも何もなく、ただとなえる念仏の修行と

 

ストレスを鎮め、自らに向き合う筆写行で堪忍力、辛抱力をつけ人間力を高めた。

 

 

こういう日々のトレーニングにより

 

他人の苦の音が観えて人情の機微もわかり

 

 

人間力の高い女性を嗅ぎ分け引き寄せ

 

その方を終生大事にできた家康公が、人生の岐路において
無難に窮地を切り抜けることが出来たという考察も出来なくはありません。

 

 

 

無理に「 人間力や腹の力 」にこじつけるなら

 

家康公は日々の内省や自己トレーニングを怠らなかった。

 

その手段が念仏と名号筆写であって

 

 

それにより心を鎮め呼吸が深くなり腹の力も出来て

 

勘も優れ潜在的能力にも優れて

 

戦乱の世を鎮め、周りに運氣( 徳分 )のおすそ分けが出来たから・・と言えなくもない。

 

 

 

 

 

なお、読者の中には

 

 

私には、ああいう三英傑のごとき人間力の高い積極的女性に出会えるような器量があるとは思えない・・

 

っていう感想を漏らす方も多いと思うわけで・・いや‥その気持ちはわかる・・(;^_^A

 

と言いますか・・むしろ哀切すら感じるくらいです。あんな腹力のある御方(おなご)たちに支えられてないと
世の中を渡ることすらままならなかった戦に次ぐ戦の戦乱の世の中・・常に明日戦(いくさ)で死ぬかもしれないという覚悟の日々・・ご免被りたいって感じです。私としては・・

 

 

 

 

で・・そういう歴史談議的感情移入はさておき

 

 

 

 

このサイトのテーマで考察のひとつは

 

 

人間力の高い積極的な人と交流したらよい。

 

交流により拓かれるものがある。

 

 

ってことになるんですけど

 

 

 

 

それだと他人まかせで心許ないってことないですか?

 

 

自分で出来ることは自分でしたいってのありますよね。

 

 

ですので

 

とにかく自分自身の人間力を上げたいという方には

 

こういった事例を一次元抽象化して
次元を上げてエッセンスを俯瞰したら・・

 

 

 

別に家康公の筆写行や只管念仏に限らず

 

 

 

どういうルートにしろ何らかの形で

 

 

 

自分に投資し1日20分でも30分でもよいから

 

 

後天的に腹を練って

 

 

脳幹を鍛え自己訓練に努めて、それを継続するということなのでして

 

 

日々の継続的トレーニングで呼吸力の強さと腹力をつけることが

 

人間力を高め周りに、よい運氣のおすそ分けをすることが可能になる。

 

そういう地道な取り組みを1日20分でもいいので続けることが運勢や運命にも影響するという見方も出来るのではないかと・・

 

なお

 

ひとつの新しい試みとして( 非科学的に感じるかもしれませんが )
お経1000回もありと思ってます。